秘光奇地~A.Mitsuki's Life~

蒙昧なる駄文の数々をここに掲載しています。

論破できたから何なのか……

論破できたから何なのか……

 March.27th.2024 / written by A.Mitsuki

とある著名人の影響か、論破というものが流行ったのはもう昔。ただしところにより流行はまだ続いている模様である。

論破なるものがなぜ流行したのかは諸説あるだろう。その中には『世の中変なことを言う人が増えた、と感じる人が増えたから論破してやりたいというニーズが増えた』ということや、『理解不能な言説を圧することでスッキリしたいというニーズが増えた』などがあるだろう。

 

変なことを言う人をAサイド、わからせたい人をBサイドとすると論破の流れは次の通り。

 

①Aサイドが不都合なこと、あるいは訳のわからない発言をする

②Bサイドが論理的な見解で、Aの意見の進路をことごとく塞いでいく

③行き場のなくなったAサイドが、もはや自分の意見すらも否定しかねない感情論を暴発させる

④Bサイドがそれを見て勝利したと錯覚して愉悦する

 

エンターテイメントである。そう、エンターテイメントならばこの流れを起承転結として終わらせればいいだけのことである。

しかし、これをリアルの生活に当てはめようとする人が増殖してしまった。まさに勘違いも甚だしいという状況である。

本当に論理的に論破できる人間であるのならば、論破の先にどんな変化があるのかというところが終着点になるはずである。④の段階で愉悦することはない。なぜならばAサイドのその場における言論を停止させただけで、根本的には何も変わってはいないのだから。

 

たとえばいわゆる『運動家』とカテゴリされる人たちが論破されていることがあるのだけれど、では論破されたあとその運動家は何か行動を変化させただろうか。おそらくは現状維持のまま活動を続けるものだろう。むしろ論破された論をそのままに激化させることだってある。要するに気分を害した程度のことであり、そもそも論破されたとすら思っていなかったりする。むしろ、Aサイドを大勢であざ笑うような下卑た奴らと卑下し、なおのこと敵対心と正義感をたくましくするのではないか。

 

こうして論破の先を見てみると勝者はどちらなのだろうか。

僕はAサイドであるような気がする。

というのも、Bサイドは④の段階で勝利を確信し愉悦し、その話を閉じてしまっているのに対し、Aサイドは④では終わっていないからだ。④の思想、活動は論破以前、以降も特に変わることなく継続するのである。

 

このことから何が見えてくるのか。

僕は世の中、周囲に気を使ったり、他人のためになどと遠慮がちに生きるより、自分のために自分の思うがままに生きることの方がよっぽど強いんだなと感じた。

『論理的に正しいこと』『考えなくともわかるようなこと』『大人として』『社会人として』などというマジョリティに縛られていれば、周囲にとって都合の良い人物像になってしまうように思える。

僕はどちらかと言えば控えめで遠慮がちで陰湿なタイプの人間なのだ。だからこれまで他人の権利を侵害しないようにと気を付けるあまり、自分の権利の多くを逃してきてしまった。例えば、あの時、身近にいた友人の『得』を考えて遠慮したこと。恋愛、友人関係、お金、仕事関係などなど。その友人のほとんどは今となっては他人であり、何も残っていなかったりする。遠慮などせず『自分もほしい』と主張しても良かったなぁと思うことが多々ある。

実際、自己主張をたくましくしている人を見ていると自己実現度が高いように思える。もちろんそれが傲慢なだけになれば嫌われ敬遠されるのだけれど。

ある程度のギブアンドテイクを維持できるのならば自分中心に事を運ぶ方が多くのチャンスを手にできるのは道理である。

世の中他人の権利や利益を侵害することで自己実現をしている人が少なくない。それをいけないことだ、人間としていかがなものか、と糾弾したところで、利益を得た人はどこ吹く風である。いや、糾弾している人もまた、他人の利益を害している自覚がなかったりするのである。

 

論破の通りの人物になるということは、ある意味では周りにとって当たり障りのない人物になり得る。立場を弁えており、謙虚であり、行動が理性的である。一時の感情に流されず、周囲を慮る。当然、はずれクジを引かされ、相対的に周囲が得をすることになる。

『いい人』というのが多く称賛されるのは、多くの人にとって『いい人』が周囲にいれば、それだけお得だからである。

多くの人が本人たちが思い描く『いい人』には自分自身はなりたくはないのである。

 

物事を論理的に捉え、本質を見ることは非常に大切な事である。

しかしそれが正義かどうかはまた別の話である。

論理的に考えすぎるのも良し悪しである。要はバランスの問題。論理一辺倒でもいけないし、感情論のみでもいけない。

僕の場合はもう少し感情的に生きることができればなぁ、なんて思う今日この頃なのでした。

 

結論。そのバランスを体得し、維持することがそもそもとてもむずかしいっ!!