秘光奇地~A.Mitsuki's Life~

蒙昧なる駄文の数々をここに掲載しています。

思考停止って言われてもピンとくるわけがないぢゃないか

思考停止って言われてもピンとくるわけがないぢゃないか

貴様、何様かっ!

「よく考えろよ!」
「お前は思考停止してるんだよ!」
なんて言われ、「何様かっ!」と、言い返したくなるところをぐっと堪えられているとしたら、あなたの思考はちゃんと働いている証拠である。
逆に「何様かっ!」と、言い返してしまったそこのあなたもまた思考がちゃんと働いている。
そうではなく、唐突に10年前の初恋談義を聞かせてやる、などの斜め上の反応をしたそこのあなたももちろんちゃんと思考を働かせている。
人類に限って言えば自我が芽生えた人はあまねく思考が働いているのである。ぼぅっとしているときどころか、眠っているときですら何かを考えていたりもする。
だから僕はむしろ教えてほしいくらいだ。
どうしたら『生きながらにして意図的に、そして自由自在に思考を停止させられるのか』
無理だ。仮に何らかの液体や粉なんかで思考を破壊できたとしても『自由自在』ではない。
人はそれくらい思考に支配されている。何も考えたくないのに、何も思い出したくないのに、何も感じたくないのに、勝手に思考が働いてしまう。
このような人類に付与されている基本的な特徴があることについて、思考が及んでいないとすれば、「お前は思考停止してるんだよ!」と激怒している人は、もしかしたら相手に言うふりをして自分に言っているのかもしれない。
なぁんて冗談はさておき。
では「思考停止!」との指摘している人は何が言いたいのだろうか。まさか本当に脳機能が停止している、まるで仮死状態だ、なんかと言っているわけではあるまい。
そこで、各カテゴリに分けた人たちに、ちょっとだけシンキングタイム(討論)をしてもらうことにし、それぞれの思考にどんな違いがあり、その要因は何かを探ってみようと思う。
カテゴリ分けは『小学生』『思春期』『学生から社会へ』『いっぱしの社会人』だ。

『小学低学年のシンキングタイム』

「ベロベロバー。ウッキャッキャッキャ」キャップ帽をかぶったタンクトップに短パン姿のクソガキが鼻水を垂らしている。名をシュンスケベという。
「サイテー、先生、こんなのと会話なんてしてられません」同級生の少女は花柄のワンピースだ。両親のガーリィ的価値観の押しつけが感じられる。名をエミリンゴという。
「ベロベロバー。そのスカートのひらひらで鼻水拭いてやろかー。グヘヘヘ」シュンスケベがエミリンゴの花柄ワンピースで鼻をかもうとしている。
「キャー、いやー、汚いっ。先生タスケテ」エミリンゴが半泣き半狂乱となる。
次の瞬間、シュンスケベの身体が宙を舞った。50メートルはぶっ飛んだ。シュンスケべの身体がズザザザと運動場の地面に転がった。
見るに見かねた先生が、グーパンをしてしまったのであった。

次に、思春期の人を見てみよう。

『思春期カップルのシンキングタイム』

青年は顎に手をやり深みに満ちた思案顔をしてみる。まるでベテランの科学者であるかのように。
「確かに、僕が昨日父親のパソコンを勝手に使い、巧みにパスワードを潜り抜け、隠しファイルを探し出し、さらにそこに施されたセキュリティをも解いてみせた。その行動は見事と自画自賛するものだが、同時に僕の落ち度でもある」
「ねぇ、だから何があったのって聞いてるでしょ、シュンスケベ」
高校の制服姿のエミリンゴがシュンスケべに愛の眼差しを向けている。
シュンスケべは昨夜の自分の行動を悔いるように渋面を浮かべる。
「聖人君子っぷりを自負するこの僕が、まさかあんな愚物に心を揺さぶられるとは。くっ」
「くっ、って。そんなに大変なものを見つけてしまったの?」エミリンゴがシュンスケベに不安の眼差しを向ける。父親が多額の借金を隠しているなどの極秘ファイルを発見してしまった、などと邪推してしまったようだ。
「あんなの、あんなの、ただの女性の裸の写真じゃないか。それなのに僕はコウフンッ――――」
ドカーンとものすごい音が鳴り響いた。同時にシュンスケベの身体が宙を舞う。100メートルはぶっ飛んだかもしれない。ズザザザと夜の公園の地面にシュンスケべの恥体が転がった。
驚くエミリンゴの隣に、先生がグーパンが伸びていた。

次に『学生から社会へ』を見てみよう。

『就職どうすんのよシンキングタイム』

エミリンゴはフレッシュなスーツ姿で、胸を張っている。
「シュンスケベ、あたし、誰もがうらやむ大手ベーグル社に就職が決まったわ」
いっぽう、パンクロックスタイルのシュンスケべは公園のベンチに座っている。身体をクネらせてカッコつけてやがる。
「ザッツロック。エミリンゴ、それはロックだぜブラボーふぅ~」
「次はシュンスケべの番よ。プロミューシャンになんかなれない、僕は諦めるって言ってたよね。それからどんな道に進むのか決めたのよね?」
「もち。僕はね、就職はしない」
「えっ」
「僕はね、エミリンゴ。科学者になるぜ。やっぱり僕はカッコよくありたい。モテモテの売れっ子ミュージシャンの才能はなかったけれど、それでもエミリンゴのスターでいつづけたいんだぜ。ドゥイッふぅ~」
「うふふ、あたしキュンとしちゃった。さすがシュンスケベ。文系なのにネ」
と、ドカーンとものすごい音が鳴り響いた。同時にシュンスケベの身体が宙を舞う。2000メートルはぶっ飛んだかもしれない。シュンスケべの愚体がズザザザと、とある大学の物理学教室の地面に転がった。
驚くエミリンゴの隣で、先生のグーパンが煙を出していた。

最後に『いっぱしの社会人』を見てみよう。

『とある科学者カップルのシンキングタイム』

「エミリンゴ、とうとう僕たちは発見してしまったようだ。これでようやく僕たちはノーベル特別科学部門すばらしいで賞を取れる」
パーティグッズ的眼鏡をかけた桃色の白衣姿のシュンスケベが得意げな表情を浮かべている。
「すごいわシュンスケ、でもどうして、最後の一歩を、どうやって解明したのよ?」
白衣姿のエミリンゴがフラスコを合計8本、指と指で挟むようにして持って立っている。
「まず、僕はuptoq345134±jg8rjgqgyg4qg897=j8ar9djoiajfgoadjgじゃないかとの仮説に従い89f0aue0gjwe#8897t0qwujrjg0w=j8gy48q(*'ω'*)038u94g4qwを右往左往させてみた」
「なるほど。そうすると(*'ω'*)≒(*ノωノ)になるわけね。それでシュンスケベは8gjgiqhrp9gjwerg(*ノωノ)8grrguwrgjjfadという段階に進んで?」
「ロォーック、ザッツBeアインシュタイン。8fq09748g8uqwejgf848qpue4jgq」
「すごいわ。ほんとすごい。それで(*ノωノ)を(-_-)zzzにする超物質の存在が証明できるのね」
その時、ドカーンとものすごい音が、鳴り響くことはなかった。
物理学教室の扉に身体をあずけるようにして立つ人物がある。二人を見つめる先生がうんうんと満足げに頷き、そして感涙ス。(完)

さて、それぞれのカテゴリの人たちはもれなく思考をほとばしらせていたと思う。すでに名推理が働いている人は承知のことかもしれないが登場人物は年齢の違いがあるだけで同人物だ。にもかかわらず、その思考はまるで違うものだった。ではなぜ同じ人物なのに、年齢の違いによって思考がまるで違っていたのか。もうすでに答えを導き出せている人も多いだろう。簡単なことである。

まとめ

いや、まとまるかいっ!!

追記

『思考停止』というのは、実は思考そのものについて言っているのでなく、その人の『知識量』や『経験量』が足りないことを示唆して言っていることなのである。どういうことか。
思考というのは、脳内にある『知識』や『経験』を主原料として、それを自分なりの脳内ルールに従って組み立てることで『思考』として抽出する行為のことだ。
小学生は小学生が持っている『知識』や『経験』を元にして思考をする。
高校生は高校生が持っている『知識』や『経験』を元にして思考をする。
社会人は社会人が持っている『知識』や『経験』を元にして思考をする。
全員が、同じ思考回路を使っていても、その回路に組み込む『知識』や『経験』が違うから、全く別の『思考結果』が出てしまう。
たとえば科学に関する専門の『知識』や『経験』がなければ、ノーベル物理学賞の何がすごいのかを理解することはできない。つまりはそれに対して『思考すること』ができないわけなのだけれど、しかし、人は「すばらしい功績だ」だとか「研究する努力は誰にでもできることではない」だとか「誰も信じないことを信じる力こそ、そのすごみなのだ」だとかの感想を言うことができてしまう。これも『思考の産物』ではあるわけだから、ゆえに『思考をしている』と本人たちには思えてしまうのだ。
しかし専門家からすれば、こんな意見は『思考停止』と違いはないのだ。
人を本当の意味で褒めることにそれ相応の知識や経験を要するというのは、こういうことなのだ。「すごい」とか「えらい」という音を発することはできるのだけれど、何がすごいのか、どうえらいのか、という詳細を説得力を以って述べられる人は少ない。

これと同じ理屈を自分たちのカテゴリ内に当てはめると、『思考停止』が知識や経験について言及していることなのだということに気づけるだろう。
仕事で『もっと頭を働かせろよっ!』と激怒されたとして、怒られたほうは『働かせた結果だよ』と思う。とはいえ、言われた通りに次はもっともっと「考えろ考えろ自分」と頑張るのだけれど、同じ事を繰り返してしまう。それで、また激怒される。しかし怒られたほうとしては言われた通りにさらに考えやったのだから、もうお手上げとなる。
これは『正しい知識』、あるいは『正しい経験』を考えることの原材料にしなければ意味がないことを示唆している。確かに『考える』という『思考』をしてはいるものの、適切な原材料を持ち合わせていない状態でしている時点で、意味や価値のある『思考』ができてはいない。つまり『もっと考えろっ!』を正しく言い換えると、『もっと知識や経験をつけて、その上で考えろっ!』ということになる。
某知識人たちがよく言う『世の中、思考停止している人ばっかり』というのは、つまりは『もっと色々調べたり勉強したりしないと駄目だよねぇ』と言っているのと同義なのである。
とはいえ、『思考停止』だけ言われたところで、『考える』という行為はできているのだから、自分は『思考停止なんかしていない』と思えるもの。だから、なんでそんなことを言われなきゃならないんだって反論したくなる。思考停止の意味がわからん、と。
人が思考を自由自在にとめることができないのは冒頭で述べた通り。つまりは『思考停止』とは『知識の獲得、経験の獲得に対する積極性の停止』を言い換えた言葉なのかな、と僕は考えている。
だからどうしたっ!!
そう、いずれにしよどうでもいいことだし、些末なことである。

October.18th.2022 / written by A.Mitsuki